こんにちは! hamです ^^
「被災地への帰省」の2回目です。
今回は、埼玉を出発して、
大船渡の実家に辿り着くまでを
書いています。
山間の村のようなところまで
津波が来た様子に
愕然としたことを覚えています。
ここからです。
☆-☆-☆-☆-☆-☆
2011/05/07 記
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5/2のお昼前ぐらいに、自宅を出発。
ノートパソコンやカメラ、
普段も持ち歩いている医薬品やら、
お泊りセットと数日分の着替え。
それと、最悪、車で泊まれるように、
寝袋も積み込みました。
と言っても、今回が特別なわけではなく、
いつも長距離で移動する場合は、
これぐらいの荷物はいつも持ち歩きます。
特に寝袋は、重宝することが多いです。
さらに、途中、コンビニに寄って、
パンと水を買いました。
大宮の市街地が少し混んでいましたが、
午後1時ぐらいには高速に乗れました。
(この時もそうですが、大抵、岩槻ICを使います。)
東北自動車道は、段差が多く、でこぼこでしたけど、
安全に走ることが出来ました。
きっと、ひび割れを起こした道路に、
応急処置した結果出来た段差なんでしょうね。
それと、しょっちゅう目に付いたのは、
自衛隊の移動車両、それから、
全国各地の地方自治体からの支援らしき車やバス。
そんな中、渋滞もなく、順調に走り続け、
途中、2回の休憩をしつつ、
夕方には岩手県に入りました。
岩手県の南の玄関口である「一関IC」を降りると、
いつもなら、宮城県の気仙沼市を経由する
国道284号線を利用した
「海沿いのルート」で帰省します。
これは大船渡に向かうには、
少し遠回りなのですが、
ぼくの好きな想い出多き道?なので、
好んで使う道路なのです。
しかし、今回は、海沿いの道の様子がわかりません。
少なくても途中の橋が、津波により、
1つ落ちていると聞いていたので、
県道19号から国道343号線を利用する、
「山沿いのルート」を使いました。
こちらは気仙沼を通らず、
壊滅とも言える被害を受けた陸前高田も、
市街地の外側の、山沿いを通る道に使うので、
確実に大船渡まで辿り着けるルートだと考えました。
岩手県は、他の県よりも、
道路が整備されている県だと聞いたことがあります。
これは、歴代の政治家の力だ、という噂もありますが、
平常時なら、道路なんか、少しぐらい遠回りでも、
最低限の本数でいいように考えていましたが、
こういう災害が起こると、
代替の道路が何本もあるのは心強いです。
陸の孤島を作らないためにも、
複数のルートは、必須なのだと思います。
ちなみに、東北自動車道から、
大船渡に向かう道路で、
かつ、海沿いの道を使わずに、
辿り着けそうなルートは、
ぼくが思い浮かべただけで、3パターン。
地元の人が数えたら、もう少し増えるかも。
道路などのインフラは、生活に直結しており、
単純に、冗長化を省き、無駄を無くせばよい、
というものでもないんだなあ、と思いました。
さて、そういうわけで、
途中で行き止まりになると大変に困るし、
夜間走行になったら、
いつもよりも危険になる可能性もあるので、
海に接することがない、
「山沿いのルート」を選択しました。
この時点で、大船渡に入るまでは、
津波の被害とは無縁の地区ばかりを
選択したつもりになっていました。
ところが、それでも、
途中、津波の被害を受けた地区があったんです。
山間部を走っていたつもりのぼくは、
いきなり現れたがれきの山に、
一瞬、何が起こったのかわからなくなるぐらい、
びっくりしました。
この話は、知らない方にとっては、
いつの日か、命を救う教訓になるかもしれないので、
Googleから地図をお借りして説明しようと思います。

Google Map
ぼくは内陸・一関方面(左側)から、
途中、峠道を越え、太平洋に向かって来ます。
そうすると、陸前矢作(左側・丸囲み)を通ります。
黄色の線は道路ですが、これは国道343号線。
(ちなみに、陸前矢作は、JR大船渡線の駅)
この陸前矢作から竹駒(中側・丸囲み)を通り、
黄色の道を外れる感じで、(海には近付かず)、
地図だと、竹駒の右になるABCフーズの下の、
白い線(道路)を利用してサンビレッジ高田の横を通り、
地図右端の国道45号線に出るルートです。
国道45号線との接続点には、
三陸自動車道路の起点もあり、
そこから高速を使うことも出来て好都合。
そして、これだと海からは結構離れているので、
津波には影響を受けず、走れそうな感じですよね?
海から竹駒までは、約5キロぐらいはあると思いますし、
そもそも、この辺りの風景は、
山間部ののどかな風景って感じなんです。
そんなわけで、ぼくが選んだルートは、
津波が来ない=がれきには一切遭遇しないはず、
のルートでした。
ところが・・・、
なんと、竹駒のあたりは、がれきの山でした。
竹駒には、竹駒神社という神社があるんですが、
そこの入り口の高い木造の塔の半分が、
多分津波にだと思うんですが、
剥ぎ取られた感じになっているのをみて、
かなりのショックを受けたのを覚えています。
車から降りて写真を撮りたかったのですが、
ボランティアの方々が作業されていたので、
お邪魔になると思って撮らなかったので、
Googleアースから写真をお借りしました。
さきほど掲載した地図で言うと、
竹駒の「竹」の文字の斜め左上に、
三叉路がありますよね。
そこが、この写真の場所になります。

Google Map
地図の左側から、内陸の水沢・一関、
地図の右側から、陸前高田・大船渡、
そして、地図の上側から、山沿いの住田町をつなぐ、
この辺りでは、交通の要所なんですが、
道路の外側に広がる風景が、
ほとんど、がれきであること、
わかりますでしょうか。
ここは、海から5キロも離れた、
多分、この土地を知らない人が、
いきなり連れて来られたら、
海沿いの町であることなどわからないであろう、
山に囲まれたような場所です。
こんな所にまで、
建物ががれきになってしまう程の
強い威力を保ったままの津波が来たのです。
友人の話だと、ここから更に内陸寄りの
陸前矢作にまで津波が押し寄せたとか。
確かに、Googleで見ると、
その辺りにも、がれきが点在しています。
これは、他の地区にも見られるようですが、
要するに、津波は、純粋な物理学の法則に従い、
低地を伝い、また、川があれば、
そこを逆流して登っていくんですね。
この川は、気仙川という名前ですけど、
大船渡には、盛川という川があり、
その川沿いは、海から離れていても、
やはり、大変に大きな被害が出だようです。
他の地域でも、川沿いでは、
予想を越える場所まで津波が来て、
被災してしまった方も多いように思います。
ぼくは、今回の震災発生直後、
晴海の高層ビルにおり、
ネットからの情報を得ながら、
震源地や深さを把握し、
これは、間違いなく大津波が来る、
と確信しました。
これは、もちろん自慢しているわけではなく、
大きな揺れに見舞われたとしても、
震源から遠く離れた地で、
冷静な状態で情報が得られる環境にいた分、
実際に、三陸に住んでいる人たちよりも、
判断しやすかったと思います。
そして、予想通り、大きな津波が来ました。
でも、そんなぼくでも、
想像していた津波が起こす被害は、
あくまでも、港周辺の場所。
養殖がやられ、
浜辺は床上浸水するかも?ぐらい。
しかし、それは甘かったわけです。
そんな甘さを、このがれきが、
訴えているような気がしました。
まさか、こんな山合いにまで押し寄せていたとは。
とてつもない、大きな津波だったわけです。
今まで、ぼくの津波に対する避難の認識は、
・10m以上の鉄筋の建物なら、
なるべく上層階にいれば、津波は問題ない。
・津波は山間部までは来ない。
だったんですけど、これは、あまりにも漠然としており、
かつ、不確かな考え方であることがわかりました。
そして、今回、この認識を更新しました。
・津波は、想像を絶する高さまで押し寄せることがあるので、
高い建物に逃げ込めば絶対に安全というわけではない。
(5階建てでも危ない。三陸に高層ビルはない。)
・山間部でも、低地なら、津波は来る。
(川があれば、逆流して上る可能性が高い。)
結局、自然に対抗するためには、
自然を利用するのが一番であり、
それは、何かというと、
「出来るだけ、高台に逃げる。」ということが、
もっとも確実な避難になるようです。
ただ、陸前高田の場合、平地が多いので、
海辺にいた人が高台まで逃げるためには、
場所によっては、何十分も歩かなければなりません。
今回の津波は、
地震から30分以内で到達していたようなので、
地震直後、すぐに避難したとしても、
とても危険な状態だったと思われます。
今後、そういう地形に住む人たちは、
高台に逃げること以外に、
何らかの方法を確立しておく必要があると思います。
・・・これは、結構難しいような気もしますが。
・・・話は戻りますが、
そんな、驚きの竹駒を通り過ぎ、
さきほどの地図で言うと、
白い線の部分を右側に向かって走ります。
この辺りには、津波の被害は来ていませんが、
自衛隊のキャンプ場があったり、
仮設住宅っぽい建物があったり、
いつもとはまるで違う風景になっていました。
自衛隊のキャンプの様子は、
大変な数のテントが、整然と並んでおり、
ある意味、とても美しく、写真に撮りたかったです。
・・・撮りませんでしたけど。
そして国道45号線に出てすぐ、
三陸自動車道に入り、
そのまま、大船渡ICまで走り切りました。
(ここは無料区間で、まあ、あっと言う間なんだけど)
ちなみに、この時間は、既に夕暮れ時で薄暗く、
高速道路の右下に見えるはずの、
大船渡市街の様子は、よくわかりませんでした。
ただ、いつも太平洋の手前に観えていた、
大船渡湾の入り口の防波堤「トンボロ」(と呼んでいた)は、
もう無くなっていました。
これがないだけで、違う海を観ているようです。
(こちらは、写真を撮って来たので、あとで掲載します。)
とりとめのない、
日記のような内容になってしまいましたが、
今日は、これで終わりです。
読んでくれた方には、ぼくのことは忘れても、
津波が、普段は、ありえない場所まで来ることを、
忘れず、心の隅に残しておいてくれたら、と思います。
もっとも、津波については、
また、後日、考察も兼ねて、ブログしてみたいですね。
例えば、東京に津波が来たら、
どこまで水が来てしまうのか、
或いは、どこが安全場所と言えるのか、
この目で確かめてみるのも、大切だと思います。
さて、次回は、実家に着いた翌日、
大船渡の市街地に入ったときの内容を
書きたいと思います。
まあ、市街地というか、元市街地ですが。
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2011/05/07 新規作成
2012/11/27 再掲
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なるようになるさ
被災地への帰省 (2) いきなり、がれきに囲まれてびっくり
