こんにちは! hamです ^^
先々週(11/11~11/15)は、
今年の8月に帰省した際に書いた
慌ただしい記録を再掲しました。
今週は、東日本大震災が起こった
翌々月(2011/05)に帰省した際の記録を
6回に渡ってお送りします。
このブログには
約1000の過去記事ありますので
当初、再掲しようと思えば
いくらでも記事がある、
などと思っていましたけど
こうして、1000の記事を
ランダムに読み出してみても
あんまり面白い記事はないのですね(笑)
選ぼうと思っても
なかなか、これだ、と思うものもなく
結構、迷うのです。
でも、面白い面白くないに限らず
残しておきたいと思うのが
震災ネタ、原発ネタなんですね。
ドキュメンタリーは
何かの役に立つこともあるかもしれないし。
そんなわけで、
今回は震災当日のぼくの行動から
時系列で再掲しようかなと思ったんですが
しかし、それは、長くなり過ぎる気がしたのと
何か違う質のもののように思えたので
それらは別の機会に再掲することにして
帰省の部分に絞ってお送りします。
それでは、この先は
2011年5月になります。
第一回目の今日は
まえがきのようなもので
ぼくと岩手県大船渡市の関係や
高田松原のことが書いてあります。
壊滅的な被害を受けた直後の
東北の様子をイメージしながら
読んでみてください。
ここからです。
☆-☆-☆-☆-☆-☆
2011/05/06 記
☆-☆-☆-☆-☆-☆
今週の月曜日から昨日まで、
ぼくの実家がある「岩手県大船渡市」に
帰省して来ました。
今、毎日のようにテレビに出てくる、
被災地・大船渡の、大船渡市です。
今朝も、どこかのチャンネルで、
大船渡の話をテレビで観ましたが、
がれきの中から鯉のぼりを発見して、
それを奇跡的に倒れなかった消防のやぐらに付け、
大空を泳がせている映像が流れていました。
地元の人たちが、
子供だけじゃない、大人も励みになる、
と言っている画像から、
思わず、貰い泣きしそうになりました
そんな感じで、毎日のように、
自分のいる関東から、遠く離れた自分の地元が、
テレビに出てくるのって、とても変な気分です。
しかも、多くの場合、画面に映るのは、
変わり果てた姿ですから。
そんな大船渡へ、帰省して来たわけですが、
特にボランティアに参加するわけでもなく、
母や友人と会い、震災当日の話を聞き、
または震災当日のぼくの行動を話し、
それから、この足で、がれきの中、
回れる場所は、回って来ました。
そんなぼくの行動は、地元の被災者にとっては、
多分、何の役にも立たないものだったと思います。
もちろん、祈りという部分では、
見えない形で、エネルギーをまいてきたつもりですけど、
それが、どれだけの効果をもたらすか、
自分ではわからないもので(笑)
しかし、3次元的には、
いくつか、学んで来たこともあったので、
それをブログに書くことで、
みなさんと経験を共有出来たらと思います。
それが役に立つときがあるかもしれないので。
ちなみに、今はぼくの実家は、大船渡ですけど、
ぼくの出生の地は、シリウス 岩手県花巻市です。
尊敬する、宮澤賢治の出生地と同じです。
(自慢にならない自慢(笑))
でも、海が好きで好きで仕方がなかった父が、
三陸・大船渡という土地に惚れて、
せっかく花巻で購入した土地を売り払い、
ぼくが3歳のとき、
大船渡に引っ越して来たらしいです。
ぼくは高校時代を、岩手県の内陸にある
一関市というところで送っているので、
実際に、大船渡で暮らしたのは、
4歳から15歳までの正味約10年間です。
しかし、今、こうして自分の歴史を書いていて、
ちょっとびっくりしました(笑)
なんだ、あの土地には、
たった10年しか住んでないのか。
なんだかんだ言いながら、
やはり、自分にとってもっとも影響を与えた土地は、
大船渡市である、と言い切れるのに、
たった10年なんですね。
それでも、これだけ特別な地になっているのは、
やはり、子供時代の多感な時期に過ごしたことや、
故郷の持つ、特別な想い、なのかもしれませんね。
そんなぼくの故郷、大船渡市ですが、
ぼくがGWに帰省することは、
お盆や正月ならいざ知らず、
滅多にないことなのです。
しかし、今年は、特別です。
3月、東日本大震災が発生、
広い範囲で、沢山の色々な被害が出ましたが、
特に、津波による被害では、
ぼくの地元の大船渡市や、
三陸から房総に至るまで、
万単位の死者や行方不明者が出る、
未曾有の大災害になってしまいました。
普段、自分の故郷と、
強いつながりを持つわけでもなく、
自分の故郷に対して、「ただの故郷」としての
認識しかないぼくなんかが行っても、
何の力になれないのはわかっていますが、
やはり、母親や親族、友人の住んでいる土地。
遅ればせながらでも、
今だからこそ、現地に行き、
出来ることはし、また、大震災が残した傷跡や、
その他、さまざまなものを、この目で見なくては、と、
思ったんです。
震災直後は、相当の混乱が発生しているだろうし、
本気で被災地支援を行うつもりがなければ、
行っても邪魔になるだけであると聞いていたことと、
早い段階で、母の無事を確認出来ていたので、
ぼくに出来ることは、募金ぐらいだ、と思い、
帰省は思い留まっていたんです。
そうそう、原発の問題も少なからず、ありましたし。
#実際には、勇敢にも、妹が、
#震災からまだ日が浅い段階で、
#札幌から飛行機とタクシーを使い、
#母の震災見舞いに駆けつけていた ^^;
#一般的に、娘の方が役に立つ、と言われますが、
#それを実証されてしまいました(笑)
今は、東北自動車道が復旧し
(新幹線も復旧したようですね)、
震災後の混乱も(とりあえず)一段落したようなので、
帰省することにしました。
そんな感じで行って来た、
たったの3泊4日の帰省&被災地経験でしたけど、
そこで見たこと、感じたことを、
何回かにわけて、ブログに書こうと思います。
さて、メインの話に入る前に、
震災前の想い出話をひとつ。
この写真は、壊滅的な被害を受けた、
陸前高田市の「高田松原」のもの。

Photo by Ham (X2)
特徴的な白い砂浜と市街地との間にある、
防砂林の役目を担った数万本の松の木が、
大変に見事な、風光明媚な観光地でした。
写真中央の道を歩いて行くと、
広い砂浜に辿り着きます。
夏のシーズンの海水浴だけでなく、
波の音を聴きながら、散歩したり、
本当に、素敵な場所でした。
しかし、今は、松の木は残っていません。
この写真の辺りは、地盤沈下して、
海の底に沈んでしまったらしいです。
松の木も1本しか残っていないとか。
(たった1本残ったというのが、泣かせますが。)
ここの松ぼっくりは、
もう、拾えないのですね
・・・うちにも何個かあるはず。
幻の松ぼっくりになってしまいました。
ところで、この写真は、(記録によると)
震災前の2004年10月12日に撮影したものです。
7年近く前の写真ですね。
日付が盆でも正月でもない中途半端な季節なので、
きっと、父の法事で、帰省したときの写真だと思います。
そう考えると、父が、
もうここの風景は、撮れなくなるから、
撮っておけ、と指示したのかも?
そうそう、帰省したときは、
必ず、この、高田松原に寄っていました。
ここは、ぼくの帰省ルートに面しており、
市街地に近く、道の駅もあり、
広い駐車場があるので、車も停め易いので、
利用していたのです。
しかし、その場所は、
幻の場所になってしまいました。
建物が津波で流されるのも、
尋常ではありませんが、
更地が残れば、再度建築出来ます。
しかし、ここは、砂浜の砂も、松も、
何も残ってないばかりか、
土地さえ、海の底になってしまったのです。
自然のしたことなので、
何も言えないですけど、やはり寂しいです。
自然との共存というのは、
大変に難しいものですね。
また、この地が砂浜に戻る日が来るんでしょうか。
来るとしても、きっと、
ずっとずっと未来の話になりそうです。
ワイキキビーチのように、
人工的な砂浜を作れば別なんでしょうけど。
さて、次回は、5/2に埼玉を出発して、
大船渡の実家に辿り着くまでの
様子をブログにしたいと思います。
☆-☆-☆-☆-☆-☆
2011/05/06 新規作成
2012/11/26 再掲
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なるようになるさ
被災地への帰省 (1) 震災前の想い出 高田松原写真
