こんにちは! hamです ^^
昨日に引き続き
「被災地への帰省」の3回目です。
ここからです。
☆-☆-☆-☆-☆-☆
2011/05/15 記
☆-☆-☆-☆-☆-☆
今日は、大船渡の実家に到着した翌日、
大船渡市内の様子を観たときの話です。
あ、その前に、実家の様子を書きましょう。
うちの実家は、かなり高台にあるので、
というか、もう山の斜面みたいなところなので、
今回の震災でも、津波の被害は受けませんでした。
しかし、水道、電気は止まってしまったそうです。
水は、山の水を引いているご近所の方から頂き、
電気は、しばらくの間、停電。
ちなみに、ガスは、プロパンなので、
各個別で、安全を確かめた後、利用出来たそうです。
そして、ガスが利用出来たため、
とりあえずの生活が行えたそうです。
庭には、小さな畑もあり、
ご近所も野菜を作ってる方も多く、
食べ物にも困らなかったようです。
ある程度の自活が可能だったのですね。
都心部は、現実的に、どうなのかわかりませんが、
少なくても、田舎の方は、
何が何でも都市ガスにする、という選択は、
あまり有効ではないかもしれません。
一極集中させることで、
合理化を実現し、便利さも手に入れることは、
今まで、どんどんやられて来たことです。
商品を提供する側も、利用する側も、
享受出来るメリットは大きいんですね。
しかし、それは安全に安定して
機能している場合のこと。
一旦、ダウンしたときのリスクを考えると、
前回、書いた道路の話と同じで、
在る程度の冗長性を持たせることが、
災害時の対策になるということがわかります。
今回も、プロパンガスでなかったら、
うちの母親の場合も、避難所に行かなければ、
食事を取ることが難しかったと考えられます。
災害が起こる前から、
どれだけ被災者の数を減らせるか、
その可能性を考えてみるのも有効のような気がしますね。
ちなみにぼくが帰省したときは、
電気、水道、電話、すべて、開通しておりました。
復旧作業に携わった方々に、
深く感謝したいと思います。
本当にありがとうございました!
さて、今日のメインの話になります。
帰省の翌日、気持ち的には、
本当に恐る恐るですが、
大船渡市内を見て回ることにしました。
とは言え、いつもとは勝手が違い、
どんな様子なのか、わかりません。
そもそも、道路はどこが使えるのか、
わからないわけです。
なので、歩いて行こうかと思いましたが、
どう考えても、現実的ではないので、
まずは、国道沿いに走ってみることにしました。
自宅から国道45号線を南下し、
大船渡市街に向かいます。
行く手も、途中までは、
一体、どこに津波が来たんだ?ぐらいの、
平和な、いつもの風景でした。
ところが、高台から、
海に降りていく国道のある地点から、
一気に、酷い状況が広がります。
テレビで何度も観た笹崎の歩道橋のあたりは、
随分とがれきは撤去されたと思うのですが、
それでも、まだ壊滅的な様相を残していました。
港でも何でもない、ありえない場所に、
大きな船が転がっています。
そして、この辺りの交差点の信号は、
まだ、停電しています。
信号が付いていない交差点には、
他県の警察が、自分たちのパトカーを停車させ、
交通整理をしてくれています。
写真付きでお話出来ればいいのですが、
ぼくは、運転しているし、
そもそも、停車して、撮影するのもはばかられるような、
ほんとうに、何とも言えない状況。
・・・ううう、なんだこりゃ。
もう、泣けて来て仕方ありませんでした。
更に進んでいくと、国道はまた高台に上ります。
左手が海であり、大船渡魚市場が見えますが、
そこいら一帯も、もう、何がなんだか。
三陸の、小さな町だったけれど、
大きな船が停泊出来るよう、岸壁を整備したり、
漁業の基地としても栄えるように、
みんなでがんばっていた地域でした。
そこが、一瞬のうちに。
さて、そのまま、国道の南下を続け、
大船渡と陸前高田の境目となる、
通岡峠の展望台に車を停めました。
そこから見た風景がこれです。

Photo by Ham (X2)
これだけだと、何の被害もわかりませんね。
三陸の観光したときのスナップ写真縲怐Aに過ぎません。
でも、これを、望遠レンズで撮影すると、
恐ろしいことに気付きます。

Photo by Ham (X2)
わかりましたか?
まあ、わかる人にしかわからないと思うんですが、
手前の半島の先っちょのあたりに、
白い構造物のようなものが、ちょこんとありますけど、
これは、津波で破壊されてしまった防潮堤なんです。
下の写真は、2004年の秋に撮影したもの。
撮影時に、カメラのモード設定を間違えていて、
おかしな色ですが、お我慢を!
(確か、この日は、本当にお天気の良い日だったんですが ^^;)
で、防潮堤が、ずっと長く延びているのが、
わかると思います。
これ、津波で流されちゃったんですね。

Photo by Ham (IXY)
この防潮堤は、ぼくらは、トンボロって呼んでいて、
その呼び方は、多分、地元の人はみんなそうだと思うんだけど、
ぼくが小さい頃から、ずっと存在していたものなんです。
大船渡湾を観たら、必ず、景色の一部として、
水平線と並行した直線を描く、トンボロがあるわけですよ。
それが、無くなってしまった。
話には聞いていたけど、
この目で見ると、やはりショックなもんです。
どこかで、「悪夢なら早く醒めてくれ!」みたいな、
信じたくない気持ちがあるのだと思いますが、
それが、夢ではなく、現実として確定されてしまうような、
そんなショックなのかもしれません。
さて、大船渡湾を上から眺めた後は、
市街地を観てみることにしました。
まずは、ぼくの親父が、
生前建てた、小さな工場に行ってみることに。
ここは、今は、親父の弟が引き継いで経営しており、
しかし、残念ながら、すっかり流されてしまったと聞いていました。
工場は、もう大船渡港の岸壁というか、埠頭の上みたいな場所にあり、
津波が来たら、一番最初に被害を受けちゃうような場所です。
まあ、父は、それもわかっていながら、
それだけ、海とともに居たかったんでしょうけど。
既に、がれきの撤去が終わっていたのか、
うまい具合に、車でも入れましたけど、
こんな感じになっちゃってました。

Photo by Ham (X2)
誰がここに工場があったと思うでしょう?
奥に在る家の残骸のようなものは、
工場の一部ではありません。
もちろん漁業に使う網や浮きのようなものも、
工場の一部ではありません。
かすかに、道路の縁石や、コンクリートの土台が、
工場の境を思い出させてくれて、
後は、何も残ってない状態でした。
なんと、がれきすらも、残ってないじゃんか・・・。
さすがに、しばらく、呆然として、その場に。
でも、まあ、予想通り、という感じもありました。
写ってませんけど、写真の右側は、すぐに海ですから。
その時は、感じませんでしたけど、
もしかすると、この時、父も一緒に観てたかも。
今は、そんな気がします。
それは、その時の気持ちが、
なんというか、泣きたくなる気持ち、ではなく、
海とともに生きた父の、自然に対する謙虚な姿勢が、
自然との共存の難しさのようなものを、
何らかの感覚で教えてくれていたような気がするからです。
自然は、沢山の恵みをくれるし、とても温かく優しい。
けれども、情け容赦ない振る舞いもする。
そういうものなのだ、というような、
言葉にならないメッセージを受けた気がしました。
とは言え、やはりここの地で出来た、
過去の記憶を思い出しながら、
かなり寂しい気持ちになったことは事実。
ところで、余談ですけど、
先ほども書いた通り、ここ、父親の弟が引き継いで、
家族総出で経営していたのですが、
幸いなことに、全員無事だったということで、
ぼくは、津波の被害を聞いたときに、
真っ先にヤバいと思ったのが、ここの人たちだったので、
本当に良かった、と思いました。
父親が護ってくれたのかもしれませんし、
そもそも、ここのように、岸壁に立地し、
必ず津波が来る!と思えるような場所は、
迷わず避難するので、
逆に助かった方が多かったようです。
この後、車で入れそうなところで、
作業の邪魔にならないような場所を、回りました。
友人が話してくれたんですが、
これでも、だいぶ片付いたのだ、ということで、
確かに、道路からは、がれきが撤去され、
最低限の通行の確保はなされていました。
でも、港の辺りと港に隣接する低地の商店街は、
道路の横に、まだまだ、がれきの山。
途方に暮れてしまうような光景が広がっていました。
それと、これも写真がないので、説明が難しいんですが、
一言で言えば、ここまで津波は来ないでしょ?と思うような所まで、
破壊的な波が押し寄せて来た様子が残されていました。
前回のブログで書いたのと同様、
海から離れていても、低地には津波が行くし、
川沿いは、余計に、大きな被害になってしまったようです。
海から結構離れた場所に、スーパーマーケットがあり、
ぼくも何度も行ったことがあるんですが、
ここも壊滅的な被害を受けていたのはびっくりでした。
もしも、ぼくが、震災当時、たまたま帰省していて、
このお店で買い物をしていたとしても、
津波を恐れて、避難していたかどうか、
正しい選択が出来たかどうか、ちょっと自信がありません。
ところで、今回、沢山、撮影しようと思っていたんですが、
ほとんど、出来ませんでした。
現地の作業の邪魔をしてはいかん!という気持ちと、
多くの人たちの生活の残骸のようなものを、
撮影する気持ちになれなかったのです。
もちろん、この様子を記録する人たち、
カメラマンやその他の人たちを
どうこう言うつもりはないです。
逆に、お任せしたいという気持ちです。
これは、誰かが残しておかなければ。
さて、この話、次回も続きます。
内容としては、ぼくが感じた被災地の問題と、
今回、もっとも感動して涙が止まらなかったことを、
書こうと思ってます。
☆-☆-☆-☆-☆-☆
2011/05/15 新規作成
2012/11/28 再掲
hamの日常ブログは、こちらです。
なるようになるさ
被災地への帰省 (3) がれきすらも残っていなかった・・・
