ハロー、hamです ^^
今日は12年12月12日ですね!
いかがお過ごしですか?
アセンション特集も長すぎて
そろそろどうなんだ?って感じでしょうか(笑)
そこで今日は、ちょっと雰囲気を変えまして
アセンションしてたかも?と思われる
過去の偉人をご紹介します。
余計なことは書かず
すぐに再掲しますね。
それでは、どうぞ。
☆-☆-☆-☆-☆-☆
「銀河鉄道の夜」を観た!
2008/01/05
☆-☆-☆-☆-☆-☆
「銀河鉄道の夜」を観た。
宮澤賢治の名作童話「銀河鉄道の夜」をアニメにしたものだ。
(細野晴臣さんを始め、結構、豪華なスタッフで製作されている。)
銀河鉄道の夜(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8A%80%E6%B2%B3%E9%89%84%E9%81%93%E3%81%AE%E5%A4%9C
※このアニメの紹介や、他にもいろいろ。
最近では、演劇やプラネタリウム上映作品も製作されているらしい。
これは、今こそ、この童話が必要とされる時期に来ているから、のような気がする。
これ、初めて観たのは、確か20年程前、
はっきりとは覚えていないのだが、
多分、レンタルビデオ屋で借りて来たのだったと思う。
今回は、年末年始に、スカパーで録画したもの。
だが、DVD化されて発売されているようなので、購入しようかなと思った。
宮澤賢治は、ぼくの同郷の人である。
生誕地(岩手県花巻市)も同じ。
なので、若干ひいき目な話にはなるけれど、
ぼくは、宮澤賢治の世界が、大好きだ。
彼の文章から感じられる、風や湿度や匂いのようなものが、
ある種の波動になって、自分の本質に伝わってくる気がする。
ところで、このアニメでは、登場人物が猫になっている。
(人間も少し出てくる。)
この件については、製作段階にて、賛否両論あったらしい。
原作が、猫の話になってしまう、と心配されたのかも。
ぼくは猫好きだし、猫はこの話によく合う気がする。
なので、ぼくの感想としては、OK!(笑)
そして、このアニメで描写されている景色は、
ぼくの覚えている幼少時代の花巻の風景、そのもののような気がする。
実際の花巻も、優しい緑の多い、素敵な土地だ。
(数年前、用事があり出掛けたが、今でもそうだった。)
映像が、ほんのりと懐かしく、切ない感じがする。
そういう意味では、原作のイメージを、とてもよく表現していると思う。
「銀河鉄道の夜」は、高次の世界と宇宙の成り立ちを表現した話だと思う。
それから、ほんとうのしあわせ(愛)についても。
(このアニメに限らず、原作そのものが)
主人公のジョバンニは、カムパネルラとともに、銀河鉄道に乗り、
3次元世界のしがらみや凝り固まった常識の空間から、
不思議な世界(幽界かな、仮想四次元とか言ってたかも)を旅する。
結末は、ほとんどの皆さん、ご存知だとは思うが、
ネタバレになってしまうので、ここでは書かない。
これらの物語の流れが、ヘミシンクの、信念体系を経由した、
フォーカス27までの道のりと合致している点が多く、とても興味深い。
また、話中に、興味深いセリフや映像が続々登場する。
三次元とか四次元とか、思念について等。
さらに、瞑想中に見えるような光のイメージも。
20年前に観た時は、とても良く出来たファンタジーだと思ったが、
今、観ると、とてもスピリチュアルな話だったのだな、と驚く。
そして、この作品の最後に、「春と修羅」(宮澤賢治著)の「序」が朗読される。
宮澤賢治には、高次の世界が、見えていたのかもしれないな、と思いながら、
アニメを見続けて来て、最後に、この朗読を聞くと、
「ううむ、やっぱり!!」って気になる。
もしかして、アセンションがあることも、感じていたのかも。
「春と修羅」「序」
わたくしといふ現象は
假定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといっしょに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち、その電燈は失はれ)
これらは二十二箇月の
過去とかんずる方角から
紙と鑛質インクをつらね
(すべてわたくしと明滅し
みんなが同時に感ずるもの)
ここまでたもちつゞけられた
かげとひかりのひとくさりづつ
そのとほりの心象スケッチです
これらについて人や銀河や修羅や海膽は
宇宙塵をたべ、または空気や塩水を呼吸しながら
それぞれ新鮮な本体論もかんがへませうが
それらも畢竟こゝろのひとつの風物です
たゞたしかに記録されたこれらのけしきは
記録されたそのとほりのこのけしきで
それが虚無ならば虚無自身がこのとほりで
ある程度まではみんなに共通いたします
(すべてがわたくしの中のみんなであるやうに
みんなのおのおののなかのすべてですから)
けれどもこれら新世代沖積世の
巨大に明るい時間の集積のなかで
正しくうつされた筈のこれらのことばが
わづかその一點にも均しい明暗のうちに
(あるひは修羅の十億年)
すでにはやくもその組立や質を變じ
しかもわたくしも印刷者も
それを変らないとして感ずることは
傾向としてはあり得ます
けだしわれわれがわれわれの感官や
風景や人物をかんずるやうに
そしてたゞ共通に感ずるだけであるやうに
記録や歴史、あるひは地史といふものも
それのいろいろの論料といっしょに
(因果の時空的制約のもとに)
われわれがかんじてゐるのに過ぎません
おそらくこれから二千年もたったころは
それ相當のちがった地質學が流用され
相當した證據もまた次次過去から現出し
みんなは二千年ぐらゐ前には
青ぞらいっぱいの無色な孔雀が居たとおもひ
新進の大學士たちは気圏のいちばんの上層
きらびやかな氷窒素のあたりから
すてきな化石を發堀したり
あるひは白堊紀砂岩の層面に
透明な人類の巨大な足跡を
発見するかもしれません
すべてこれらの命題は
心象や時間それ自身の性質として
第四次延長のなかで主張されます
大正十三年一月廿日 宮澤賢治
引用:「宮沢賢治の童話と詩 森羅情報サービス」
http://why.kenji.ne.jp/index.html
ぼくらは、電磁波のようなものです。
三次元世界に具現化されて、そこに物質があるように感じているけれど、
それは、幻のようなもの。
目に見えているものは、脳がそのように映像化しているだけ。
本当に実在するものは、複雑な波動の干渉でしかありません。
波動であるぼくらは、思念により、更に新しい波動を作り出す。
それが、愛になり、カルマになり、神になり、悪魔になる。
その波動全てをひっくるめた塊が、宇宙であり、創造主(神)なのです。
ぼくらは、その波動の中で、何をしてもいい。
どんなことでも、出来る。
自分が発した波動には、宇宙は完璧に反応してくれます。
これこそ、ぼくらが生まれて来た目的であり、
自分が何者であるかを、宇宙に示すこと、に他なりません。
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ということで
アセンションの話は
ほとんど出て来ませんでしたが
宮沢賢治という人や作品について
なかなか、興味深いと思いませんか?
この「春と修羅」などは
スピリチュアルな気付きを得る前は
おかしな文章だなあと思っていましたけど
今日再掲したブログの内容に書いてある流れで
再び「春と修羅」に触れて
最初の3行で、超ドキドキしたことは
今でも忘れられません。
ところで
この文章は4年前のものですが
今の考えも、ほとんど同じです。
特に後半の「春と修羅」を引用した後の文章は
我ながらよく書けているなあと思いました(笑)
但し、最近、ぼくの中で、
新しい見方も生まれて来ています。
主に奇跡のコースと呼ばれている
一連の書籍や同じく学ばれている方のお話から
世界観の再構築が始まるのではないのか
というような気がしています。
まあ、この話はまた後でしますね。
奇跡のコースの自習も
ほとんど止まったままですし (^^;
2008/01/05 新規作成
2012/12/12 再掲
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なるようになるさ
今週も、アセンション特集だよ!(10)
