これは、10年ぐらい前に撮影したもの。
自分としては、とても気に入ってる写真。
気にいってる理由は、
この道を歩いていけば、
どこにでも行けそうな気がするから。
もっとも、撮影したときには、
そういう気持ちは、なかったけれど。

photo by ham (ixy400)
ここは、清里の、とある場所。
初夏の季節だが、霧の日であり、
従って、このような写真が撮れた。
このときの湿った空気は、
媚びるような生ぬるいものではなく、
凛とした、ひた向きな少女のような、
冷たく清浄なもので、
呼吸する度に、
自分自身が浄化されていくような
感覚だったことが忘れられない。
ぼくが生まれた花巻の緑から生まれる、
優しい潤いのある空気に、
磨きをかけた感じだ、とも思った。
ぼくは、この写真を撮影したとき、
この霧の向こう側に住んでいる、
ある女性のことを想っていた。
恋をしていたわけではないが、
特別な感情で、
彼女を想っていたことは、確かだ。
但し、彼女との間で、
何かを結びたい、というような、
願望を含む気持ちを
持っていたわけではない。
もうぼくは結婚していたし、
歳もずいぶんと離れていた。
それから、自分の中で、
例え、彼女が、自分にとって、
愛おしい存在になったとしても、
彼女と恋に堕ちてはいけない
というような、
防御スイッチが入っていた気もする。
当時、ぼくは、ホームページを開設しており、
そこに、少年が失恋する短編小説を書いた。
彼女は、それを見つけて、読み、
感想をメールで送ってくれた。
読者からメールが来ることなど、
滅多になかったから、
ぼくは喜んで返事を書いた。
最初、1読者へのお礼の返事だったが、
なぜか、文通のように、メールの交換が続き、
そのうち、プライベートな相談まで、
受けるようになった。
ある日のメールでは、
彼女は、リストカットをしている、
ということを、書いてきた。
当時のぼくは、
スピリチュアルでもなんでもなく、
本当に普通のおじさんだったから、
(今でも普通のおじさんだけど)
リストカットと聞いても、
なんのことなのか、わからなかった。
ネットで調べて、
その意味を知ったとき、
とても驚いたことを覚えている。
それは、自分の生きている世界には、
あってはならないことだったからだ。
そう、あの頃のぼくは、
自分が見えている世界は、
みんなの見えている世界と、
同じものだと思っていた。
実は、さっき、急に、
彼女との記憶を、
文章にすることを思い付き、
書き始めたのだが、
途中で、挫折してしまった。
彼女との想い出を
時系列のように書いてしまったのが、
失敗だったのだろう。
事実だけ並べれば、ぼくと彼女は、
破局とも言えるような結果を迎えるからだ。
だから、今は、もう彼女とは会っていないし、
会う手段さえ、失ってしまった。
元気でいてくれるだろうか。
じゃあ、なんで、
ブログに書こうとしたかと言えば、
さっき、少し書いたけれど、
自分が見ている世界は、
他の人が見ている世界とは違う、
というようなことを書きたかったのかも。
もう少し、踏み込んで言えば、
誰もが、心の中に持っている、
闇に気付いてしまうことがある、
というようなことを、
書きたかったのかもしれない。
もちろん、闇に気付かないまま、
一生を終える人も少なくないと思う。
闇に気付いても、
なぜか、対処方法を知っていて、
うまく付き合いながら、
生きていく人もいる。
だが、闇に気付き、それを、恐れ、
闇の中に吸い込まれないようにするだけで、
毎日が、せいいっぱいの人たちもいる。
闇に気付かない人は、
闇の怖さを経験したことがないから、
闇におびえる人々を
異常な人と思うかもしれない。
だが、一旦、闇の存在を知ると、
闇におびえる人の気持ちがわかる。
自分も多からず少なからず、
闇を経験するからだ。
みんなが同じ世界を見ている、とか、
心の闇なんてものはない、とか、
そう思って生きている人は、
少なくないと思う。
ぼくもそうだったのだから。
でも、彼女との交流の中で、
個々の世界観の違いに気付き、
すべての人々の内面には、
光と闇の領域が存在することに気付く。
結果として、ぼくは、この経験で、
スピリチュアルの気付きを受けるために、
下地が整ったような気がする。
ところで、彼女は、
ぼくが、このような形で、
霊的な気付きを得るため、
あえて、闇を経験し、
リストカットをする役割を
してくれたのだろうか。
もしも、そうだとしたら、
ぼくは、どれだけ感謝しても、
感謝し足りない。
と思うと同時に、
漆黒とも言えるような、
闇の側にいるように見えた彼女は、
実は、光の使者だったのかもしれない、
と、今、思った。
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リストカットの彼女が教えてくれたこと
