スピな話なので、メインのブログに
書くような内容だけど、
気付きとか関係なしで、
ちょっときままに書きたいので、
こちらへ。
「すべてはひとつ」について。
この世界に存在するものは、
どれもこれも、バラバラに分離して、
個々のものものが、
好き勝手に、或いは、無造作に、
存在しているように見えるけれど、
実際は、ひとつのかたまりであり、
すべてが調和して存在している、
という考え方。
うん、ぼくもそう思う。
すべてはひとつだ。
バラバラに分離しているようにみえても、
実相は、ひとつの大きな、かたまりが、
部分部分で個別化して、
相対的な経験が出来るように、
創造されたものである、と思ってる。
誰が創造したかって?
そりゃ、神さましかいない(笑)
すべてはひとつだ。
そうは言っても、
こうして、3次元空間においては、
それぞれが、別々のものとして、
認識されるようになっている。
神さまの仕事は、完璧だ。
どれもこれも、
ひとつのかたまりのはずなのに、
自分のまわりを見渡しても、
「ぼく」と
「ぼくでないもの」に
分かれている。
たとえば、ぼくが入力に使っている
このキーボードは、どうみても、
ぼくではない。
キーボードを打った瞬間は、
キーと指が一体化するけれど、
だからといって、その瞬間だけ、
ぼくになったわけではない。
同じように、
ぼくは自分だけど、
自分以外の人たちは、
ぼくではない。
あなたは、ぼくではないし、
ぼくは、あなたではない。
通常は、これでもいいんだけど、
人間は、自分以外の人間と、
一体化したいと思うときがある。
例えば、恋愛したとき。
今は、涼しい顔をして、
お茶でも飲みながら、
このブログを読んでいるあなたも、
過去には、胸の切なさを感じながら、
恋焦がれる相手との一体感を、
望んだことがあるかもしれない。
実際、一体感への想いをこえると、
物理的にひとつになりたくなる。
恋愛を例にするのが、
もっともわかりやすいと思って、
たとえ話を書いたけど、
恋愛でなくても、
憧れとか、尊敬とか、
誰かとの一体感を望むことは、
誰にでもあることなのだと思う。
でも、どんなに願ったところで、
ぼくは、あなたになれないし、
あなたも、ぼくにはなれない。
3次元的には、
どんな魔法を使っても、
ぼくとあなたは、
ひとつになれないのだ。
ぼくは、このことは、
とても、寂しく切ないことだ、
と思っている。
と同時に、神さまが、あえて、
そういう世界を、創造したのだ、
ということが、よくわかる。
ぼくらは、ひとつになろうとしても、
ひとつには、なれない。
どんなに願っても、
どんなに祈っても、
どんなに一緒にいても、
どんなに触れ合っても、
どんなに愛し合っても、だ。
但し、それは、
3次元の世界における制約だ。
ふと、その制約の意味に気付き、
ぴょんと制約を乗り越え、
たましいやココロという、
3次元的にはつかみどころのない部分なら、
ひとつになれることを、
体験出来ることがある。
それは、3次元的な触れ合いが加わると、
より、偉大なる経験として、体験出来る。
制約だと思っていた部分が、
強力なエッセンスになるのだ。
そこに気付きを得ないと、
ひとつになることを、経験出来ないのは、
きっと、何か理由があるはずだ。
ぼくは、その理由を、
ずっと、わかったつもりでいたけれど、
最近、また、わからなくなってきた。
・・・螺旋階段を、一段上り、
ちょうど、一周したところかも。
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