恐怖や不安の消去

ぼくは、「神との対話」の中では、
この言葉が、暗唱出来るぐらい、好きである。
あなたが結果に執着しなければ、
世の中には恐ろしいことは何もない。

「神との対話 365日の言葉」より
   ニール・ドナルド・ウォルシュ著 吉田利子訳

自分の心の中に、何か不安があるときは、
この言葉を思い出し、心の中で、唱える。
大抵の場合、不安や恐れは、
これから起こる何かの結果に対する期待の裏返しである。
そして、自分が、どの結果に執着しているのか、
冷静になって、出来るだけ具体的な状態で見つけ出し、
それから、そこに付着した執着を消去する。
誰かがぼくに、何かに対する、
不安や恐れを相談して来たら、
その人が求めている結果について聞き出し、
それから、そこに付着した執着を希望に変換する。
まだ、起こっていない結果に執着するのは、
それが楽しめれば、そのままほっといてもいいけれど、
(例えば、宝くじが当たったら、とか)
そのことで、何も手に付かなくなったり、
心を揺らされて、今に集中出来なくなるようなら、
すぐにでも、消去した方がいいのだ。
跳び箱を跳ぶ前から、
跳べなかったらどうしようと、
身体を緊張させていたら、
大抵の場合、跳べないものだ。
跳べなかったことなど考えず、
リラックスした方がいい。
ぼくらが抱く、不安や恐れは、
期待した結果を得られないかもしれない、
という予測から生まれる。
期待した結果を、欲するのは、
執着である。
執着が強ければ強いほど、
予測した結果が得られないと考えたときの、
不安や恐れは大きくなる。
しかし、この一連の予測は、
自分がしていることだから、
不安や恐れを創造しているのも、自分である。
どれもこれも当事者は自分なので、
自分で、予測を変えることも、消してしまうことも出来る。
ということは、自分で好ましくない不安や恐れは、
消去してしまえるということだ。
消す方法は、結果に執着しないこと。
結果に執着しない、と書くと、
結果なんて、どうなってもいいや、と同じ意味と、
勘違いする人もいるかもしれないが、
決して、そんなことはなく、
思う存分、そのための準備をしたならば、
後は、結果を手放して、事に及びましょう、
ってことなのだと解釈している。
人事を尽くして天命を待つ。
東洋の言葉の中では、
この諺が一番近いかなと思う。
そして、ついでに、補足しておくと、
自分に起こった出来事は、常に最善のことしか起こらない。
以上のことから、
間違いなく、結果は自分にとって、
最善のものになる、ということだ。
未来の予測をして、気に病んでいても、
結果に対して、良い影響は与えない、ということだと思う。
(そうでない場合は別として)
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