囚われているという点では、何も変わらない

最近、新しい仕事場のプロジェクトに
参加した女性がいる。
歳は、20代後半?ぐらいか。
その彼女の友達だか知り合いだかに、
精神世界にハマっている人がいるらしく、
事あるごとに、面白おかしく、
その人の話をする(笑)
声が聞こえるらしい、とか、
光がみえるらしい、とか、
そういうのは、どう考えても、
頭がおかしいと思うので、
病院に行った方がいいと思うとか、
もう、散々な言いっぷりだ(笑)
「まあ、いろんな人がいますからね」と
言葉を返しながらも、なんだか、
自分のことを言われている気もして、
ぼくとしても、苦笑気味である。
実際のところ、本当にいろんな人がいるわけだけど、
この世が見えるものだけで構成されており、
科学は万能で揺るぎなく、
マスコミは正しい、と思い込んでいる人は、
まだまだ多いのだな、ということを、
思い出させてくれる良い機会でもあった。
最近、スピリチュアルな人がまわりに多いので、
そうでない人の存在を忘れそうになっていたのである(笑)
まあ、ぼくとしては、どっちでもいいのであるが、
信念体系に囚われているという点では、
どっちもどっちでもある。
3次元以外にも、沢山の次元があるけれど、
そのことを知っていたら、偉いのか、と言えば、
別に偉くないし、大抵は、何の役にも立たない。
3次元しかないのだ、という人は馬鹿なのか、と言えば、
3次元でせいいっぱい生きているのならば、
馬鹿でもなんでもなく、
それはそれで素敵なことなのである。
そもそも、この3次元でめいっぱい体験を重ねるために、
生まれて来たのだから。
何事も、自分で確かめようともせず、
スピリチュアルな世界を頭から否定したりするのは、
自分が確かめようとしたわけでもないのに、
スピリチュアルの世界にハマってる人と同じだなということ。
言い方を変えて同じことを言うと、
盲目的にスピおたくになっている人と、
根っから理由もなくスピを否定する人は、同じ。
誰かの作った話を真に受けて、囚われているだけの話、
ということだ。
スピや宗教にハマる人も、それらを馬鹿にする人も、
なんでもそうだけど、
自分では何も生み出してはいないのに、
自分としての考えを持っていると
思い込んでいる人は意外に多い。
(或いは、ぼくもそうかもしれない)
そのとき、気付けばいいのだけれど、
大抵、偏った信念体系に囚われているということが自覚出来ず、
次の一歩に進めないでいるように思う。