命日

今日は、父の命日なのである。
父が亡くなった日のことは、今でも覚えている。
あの年は確か、普通に秋が来ており、肌寒いぐらいの日だった。
ぼくは、焼き芋屋の軽トラックの後ろを走っていて、
荷台に見える釜の中のゆらゆらとした火を見ながら、
なんだか秋だなあ、という気分で運転していた。
その後である、訃報の電話がなったのは。
葬式の日。
自分の父の亡骸を乗せた霊柩車が、
見慣れた道を走っていく様子を、
ぼくは、後ろから運転しながら見た。
父が運転する車に乗せられて、よく通った道。
どこかに行く時は、必ず通る道だから、
小さい頃、何度も何度も乗せてもらった道。
その日常の風景の中で、
非日常的な体験をしている自分に、
なんだかとても混乱していた。
あれから、何年経つんだ?
先日13回忌だった。
早いものである。
いつか、ぼくも死に、ぼくと日常を歩んできた人たちが、
ぼくがいない非日常的な体験をする日が来る。
そう思うと、やっぱり死とは切ないものだ。
父は、今頃、父のエネルギーとして、存在するはずだ。
どういう形で存在するのかは、今のぼくには、まだわからない。
だけど、たまに、存在に気付くときがある。
例えば、今日、ぼくは存在を感じた。
そういうものだから、死とは切ないものだけど、
実は、寂しくもなんともないものなのだろう。